フィルムカメラを使うのは、井戸水を飲むようなものか。
2018年も間もなく終わる頃、富士フイルムの「ナチュラクラシカ」というフィルムカメラを買った。なんとなく買ってしまった、という想いが拭えずに、3ヶ月が過ぎた。
「フィルムカメラで写真を撮る理由ってなんだろう」
そう漏らすと、友人はこう返してくれた。
「ペラいの(フィルム)の中に、切り取った世界が写ってる。フィルムっていう形で、時間を閉じ込めてる感がある」
ふむ、そういう感覚もあるのかもしれない。
友人は続ける。
「面倒臭さとか、不便さ、世の中が便利になって切り捨ててきた事を味わうのって楽しい。たまにアナログなのがいいんだよ」
「田舎のばあちゃんちに行ったら井戸があって、手押しポンプでギッコンギッコンして水が出てくる。はじめは濁ってて、少し漕ぎ続けると綺麗な冷たい水が出てくる。''楽しいーー!冷たーい!なんか美味しい!''
でも、井戸が日常だと、''面倒・・・蛇口ひねれば水が出てくるといいな、やっぱ水道は最高''ってなる。それでもやっぱり夏休みにおばあちゃんちに行くと、井戸の水飲みたくなるんだよなー、みたいな」
(例えの長さはさておき)私は、腹にすとんと落ちたのだ。どちらかに決めることじゃない。井戸水(フィルム)と水道水(デジタル)、飲む(撮る)までの過程を楽しむのもよし、利便性を求めるのもよし。
「フィルムしか無かったらデジタルが欲しくなるじゃん?両方所持して、その時に使いたい方を使って、その道具を楽しめばいいんじゃない」
デジタルカメラは富士フイルムのX-Pro2を所有している。グレイン・エフェクトという、フィルム写真が持つ独特の粒状感を再現する機能(簡単に言うとざらざら感を出す機能?)を使って、''フィルム調''の写真を撮っていたつもりでいたので、フィルムじゃなくてもいいじゃん、という気持ちが少なからずあった。
ナチュラクラシカを買ってから、下記3本のフィルムを使った。現像してみて、デジタルで作ったフィルム調は、結局フィルム''調''であって、本物じゃないんだなぁと気付く。粒子感が違う、というのがはじめの3本を使った感想だ。
FUJIFILM NATURA1600
AGFA Vista400
FUJIFILM SUPERIA VENUS800
最後に感想をもう一つ。今までスナップしても、あまり人を入れた写真を撮らなかったけど、現像した写真を見返してみると、街行く人々の姿を沢山撮っていた。
今は義父が使ってたNikon FEを修理中。カメラが戻ってきたら、義父が撮っていたように、家族の写真を撮ろうと考えている。